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Seesaaブログから引っ越ししてきました。

感じ入った親日派韓国人『池萬元』氏の記事

訪問して頂いている方にも是非読んで貰いたい記事があったので、全くの転載で申し訳無いのだけれど下記記事を。

池萬元と言う、ある韓国人が書かれたもの・・・ これ程の見識で書かれている事に驚いたのと、彼が親日派として韓国内で相当な批判に晒されている事に 悲しささへ覚えてしまう。

池 萬元(チ・マノン)氏の略歴は一番下に

製造業や貿易業の仕事に携わる韓国人は、日本の悪口を言ったり憎んだりはしていない。日本から学ぶことが多いからだ。日本を知らない人だけが、過去という氷の棺の中に自分の魂を閉じ込め、日本なら無条件に嫌いだと言っているのだ。60年もの間憎しみ続けて我々に一体何の得があるというのか。我々は考えなければならない。

過去数千年の間、我々民族が同族同士の間で犯した蛮行の中に、日本以上に厳しい事例が果たして本当になかったのだろうか。日本が我々よりも野蛮なのか、そうではないのか、優秀だったか、醜かったか、今の日本人と韓国人を見れば、その違いをまざまざと知ることができる。日本人は今でも我々より、何倍も元気に暮らし、世界で最も尊敬される礼儀作法と信用力を持っている。もし、日本経済と韓国経済の間に万里の長城を築けば、被害は両国ともに生じるが、我々の被害の方がはるかに大きい。外国に行って日本人を罵れば、悪口を言ったものが除け者に合う。認めたくないだろうがこれは現実だ。

我々は日本よりも早く成長したがる。発展の原動力は、創造性と先進科学を収容する姿勢だ。憎しみからは絶対に創造性は生まれない。我々が今からでも考えなければならないのは、日本が米国から学んだ方法を学ばなければならないということだ。

健康薬品ひとつ作るにしても動物を相手に実験をする。人の命というのはそれほど尊いものであるからだ。ところが、米国は原子爆弾を作り、その実験相手に日本人を選んだ。日本人たちの自尊心がどれほど傷ついたことだろうか。放射能とは恐ろしい物質である。日本人たちは、その放射能を子どもの世代まで受け継がなければならないという現実に一体何を思っただろうか。おそらく、我々に原爆が落とされていたのなら、米国は今でも我々の不倶戴天の敵であっただろう。だが、日本人たちはその憎しみを学ぶことで昇華させた。日本人は自分たちより優秀な人の前にはひざまずく。このような姿勢を我々は持っていない。日本人は優秀な米国人から学び、学んで勝たなければならないと考えたのだ。

日本人は一方で、廃墟の地にブラシをかけ、もう一方では、こまめに米国に渡り、工場の門を外からのぞき込んだ。これは彼らよりも優秀な米国を学ぶためだった。米国人たちは、そんな日本人たちを蔑視した。「日本人は寝ても覚めても米国に引っ付くことしかできない。ドアを開けてすべて見せてやれ。」

1957年当時、ダレス米国務長官が、多くの日本群衆に向けて、米国の優越感を表現した。「親愛なる日本国民の皆さん!日本は技術面で永遠に米国と競争することはできません。日本は今、世界最高のハンカチと優れたパジャマを生産しています。なぜそのようなものを米国に輸出しようとしないのですか?」あえて米国を真似るとして、工場の門をのぞき込む見苦しい姿を蔑視したスピーチであったし、1957年に米国に渡ったみすぼらしいトランジスタラジオをあざ笑う言葉だった。

当時、米国は世界のGNPの54%を占めていた。ほぼすべての生産拠点が米国にあり、世界の新製品すべてが「MADE IN USA」だった。彼らは米国で作られていないすべての製品をゴミとして蔑視した。これをNIH症候群(Not Invented Here Syndrome)と呼んだ。

これらの侮辱を跳ね除け、日本人たちは米国から続々と先生たちを呼び寄せた。1950年には、あの有名なデミング博士を、52年に​​はジュラン博士を、54年にはピゲンバウム博士を招き、科学経営、システム管理、統計学的品質管理を覚醒させた。そして、日本は産業界のノーベル賞であるデミング賞(Deming prize)を制定した。日本が今日の品質ナンバーワン国に君臨するのは、米国人の師匠であるデミング博士の存在があったことを世界に示したものである。一方、我々自身を今一度振り返ってみよう。我々は今、外国を排斥する中、狭いナショナリズムに浸っている。我々なら、多くの国民を原爆で殺した敵国の人種、米国人を師匠とし、それを記念して産業界のノーベル賞と呼ばれるデミング賞なるものを制定することができるだろうか。

「米国を模倣しよう(Copy the West)」「米国に追いつく(Catch up with the West)」。日本人は米国を追い越すために情熱を注ぎ知恵を絞った。そして1980年代にはいよいよ日本が生産技術と品質管理で、米国を上回った。その時からしばらくは、米国が日本へ学びに通った。ダレス米国務長官の嘲弄まじりのスピーチから25年、1982年に自動車の米国人顧客満足度調査で、日本の自動車が上位1・2・3位を占めた。一方、米国車はわずかに7位であった。米国人が最も好きな車は米国車ではなく、日本車だったのだ。仕事に没頭し目標を捕らえる姿は美しくはないだろうか。「日本のやつら」がやったことだから、こんなことも見苦しいと見るべきなのだろうか。

日本だけ憎むのではなく、最近では米国を憎む人も増えてきている。優秀な人を見られない心や憎悪する心が、我々に何を持たらすのだろうか。我々よりも立派な人も敵で、我々よりも優秀な国も敵ならば、我々は誰から学び誰とともに生きていけばいいのか。

わが民族同士?外勢を憎み、国際社会に不当な理由を上げながら飢えに苦しむ住民を弾圧して殺す北朝鮮と手を取り合って生きなければならないというのだろうか。憎悪心をそそのかせば団結はできても発展はない。醜い人同士が手を握れば皆が醜くなる。我々が恐るべき対象は北朝鮮ではなく、憎悪心を学ぶ力に昇華させ米国と肩を並べた日本の人々である。我々は日本の学習方法を学ばなければならない。

昨日、自分が何を間違ったのかを問う人々は、昨日の間違いから知恵と教訓を導き出す。しかし、昨日の間違いが誰によってもたらされたのかを問う人々は、昨日の間違いを延々と繰り返すことになるだろう。

池萬元|2011.3.1

http://www.systemclub.co.kr/

イカイ反応補足:池萬元 -

池 萬元は、大韓民国の軍人、評論家。経営科学博士。江原道出身。韓国では国民常識に反する発言により、親日反民族的などと批判を浴びている。 Wikipedia一部抜粋

池萬元- Wikipedia