脳出血の退院から23日目 シンガーソングライター村下孝蔵で発見した事
YouTubeを見ていたら、突然亡くなった記憶のある村下孝蔵さんの曲初恋の動画がお勧めに表示された。
あっと言う間に亡くなった記憶があるので、と言う事は確か脳いっ血ではななかっただろうか?と思い調べると以下のような最後がWikipediaに書かれている。
1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明の昏睡状態に陥り、僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。
バブル時期を除けば、彼の無くなった1999(平成11年)であっても夕暮れ時の商店街や人々の黒電話を使ったやり取りは今ではとても古い時代でどこか寂しさ、孤独感を感じる。
村下孝蔵さんの作った曲の多くと熊本出身の朴訥な語りと風貌は、当時の時代に合っていて彼が好んで聴いていたと言う、オフコースのような、垢抜けた雰囲気やお洒落感も無く、全体に物悲しさだけの残る楽曲はどれも、当時のまだ多かった朴訥な若者の心を掴んだようにヒットしたし、当時カセットテープでアルバムを買って自分も良く聴いていた世代
あまりにあっけなく若く死んでしまったので自殺した作家の太宰治や芥川龍之介と勝手にダブってしまう。
彼の場合病院に着いた時点で出血量が多く重篤な状態に直ぐにお陥ったようなので、今の令和の時代にあってCTやMRIによる診断が行われて適切な治療がされていたなら、亡くなる事も無くその後も、昭和の名曲が残っていただろうと思うと、初恋を歌う彼を見ていると当時の記憶も蘇ってジーンとしてしまった。
今日発見したと言う話は、今の今で彼がメジャーになった曲が初恋と思っていたのに、このゆうこが初恋より一年前の1982年4月21日発売でメジャーになった最初の曲だったと言う事・・・では無く、この曲名の ゆうことはストレートにも は最初の結婚相手だったと言う事。
そのゆうこさんとは広島市内で1978年に村下と出会い、翌年に結婚したのだそう、売れるまでの彼の葛藤の日々を支えた人でもある。
なぜか二人は。踊り子などがヒットした翌年1985年に離婚、つづく人生とは思うように運ばないものです。
驚く事にそのゆうこさん、アコーディオン奏者として兵庫県芦屋市を中心に今も活動されているらしく。おまけに娘さん露菜(ろな)はシンガーソングライターとて活動されていると言うのでびっくり!血は争えないものですね。
自分の脳出血から村下孝蔵さんの死因そして、この動画まで辿りつけるなんて改めててネットは凄いと思います。ではゆうこさんと実の娘露菜(ろな)さんで踊り子