トニーこと、日活俳優 赤木圭一郎の身長がわかった!
赤木圭一郎と言う名の俳優をご存じでしょうか。
Wikipediaから彼のデータを抜粋引用すると・・・
赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう):1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名、赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。通称、トニー。
活動期間 1958年 - 1961年
1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。・・・・・・・
『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では少年時代からの憧れだったという船乗りを演じ、「マドロス姿が最もさまになる日活俳優」と評価された。より多忙になる中でステレオやスポーツカー、オートバイなどに趣味を広げ、カーマニアとしても知られるようになった。
彼の姿を見た事の無い、あのかっこいい風貌を見たいと言う方は これを
この容姿がたった21歳の青年、もう年齢不詳と言って良い大人っぷりです。彼に憧れる男が多いのも納得が行きます。明らかに当時の石原裕次郎や小林旭の成長過程の男の風貌と違い、すでに完成された落ち着いた男のオーラを持っています。彼の代表作でもある『霧笛が俺を呼んでいる』の映画をアマゾンのプライム映画で最近も見ました。(年額3900円でプライム会員になると無料で映画をパソコン、タブレットなどで鑑賞出来るサービスがあります)
その映画をじっくり見ていたら、あれっ?自分が思っていたより身長低いんじゃないかな? と思える場面が多々あって(そのスタイル、立ち姿から勝手に思ってた身長は178センチから180センチ)早速調べてみると、彼の本当の身長が判明したので ご紹介。
それが映画『打倒・ノックダウン』の撮影時期のラジオインタビューの中でのこと・・・
『打倒・ノックダウン』のシーンはYouTubeから削除されましたので、こちらは映画『紅の拳銃』の中のシーン、まさにスクリーンの中では異質の、今で言うイケメンぶりです。
ここから本題!
【身長の話が出た部分の会話のみを抜粋】
司会『まあ、それもそうですね、ところで自分の癖っていうのは こりゃあもうどなたにもあるんですがね、気の付いている癖も有れば、気が付かない癖もあるわけですけれども、赤木さん自分で気が付いている癖ってのはどういうんだかお分かりですか』
赤木『癖って人が見なきゃわからないんじゃないかなぁ』
司会『ああ、でもこうあごの下にこう』
赤木『ええ、ああそうですねほんとに(笑)』
司会『肘をついてらっしゃいます やはり』
赤木『お行儀の悪いのが癖ですよ(笑)』
司会『アハハハッ お行儀の悪いのが癖、こりゃ聞いてもですね すぐに応えられるものでもない(笑) あのう ちょっとこう拝見しただけでもスラッと大変スマートなんですがねえ』
赤木『とんでもない(笑)』
司会『身長はどれくらい有りますか?』
赤木『背の高さが174センチです』
司会『174センチ』
赤木『ええ』
司会『するともう、現代の標準以上ですね、体重はどのくらい有りますか?』
赤木『体重がねえ、十八貫目(67.5キロ)有るか無いか、有る時もありますし無いときも有ります』
・・・
・・・・
※ 1貫=3.75キロ
と言う事で、当時のトニーの身長は174センチと判明!
今の男性の平均身長は170センチ、だいたい高校3年生がこれくらい、これが1960年になると平均身長は165センチなので、当時のトニーは平均身長より9センチ高い、と言う事は、単純に現代の身長に換算するなら、170センチに9センチ上乗せして、冒頭に書いた”勝手に思ってた身長は178センチから180センチ”がまんざら思い違いで無い事に・・・ なんじゃそら!!
当時の男性の平均身長より10センチ近く高いのなら トニーだって妙な見栄を張る必要も無いでしょうから、この身長が正真正銘のトニーこと 赤木圭一郎の身長! と言う事で大発見でした。
【霧笛が俺を呼んでいる・・吉永小百合さんとトニー】
この映画では脇役だった吉永小百合とのシーン、若し、この何年後かに二人が結婚でもしていたなら、世間は大騒ぎだったでしょうけれど、きっと 『トニーなら仕方ないか』と、世の男達が降参したのは間違い無しです。
後日追加しました。
トニーのお墓です、鎌倉 長勝寺